光学演算で時系列予測、消費電力ゼロへ
トルコ・独立研究者が開発した受動光学予測コア「HAMON」が、電力を消費しないシリコンフォトニクス的アプローチで標準的なAI予測モデルを一部ベンチマークで上回った。エネルギーコストと推論遅延の削減を求める企業に新たな選択肢を提示する。

人工知能による時系列予測は、電力・ガス・金融・小売など幅広い産業で需要予測や設備管理の中核を担っている。しかしその計算基盤はGPUによる大規模デジタル演算に依存しており、運用コストと消費電力が課題となっている。研究者のAlper Yıldırımが発表した論文は、この前提を根本から問い直す試みである。
論文が提案するHAMON(Holographic Aperture Mixing Optical Network)は、過去の時系列データを光の波面として光学アパーチャに符号化し、学習済みの位相マスクと自由空間回折を通じて未来の値を出力光場に直接形成する仕組みである。推論時には、デジタルの時系列混合レイヤーを一切使用せず、単一の受動光学伝播パスのみで予測を完了する。計算の本体が光の物理伝播に委ねられるため、理論的には推論における電力消費をほぼゼロに近づけることができる。
精度面では、気象・エネルギー分野で広く使われる標準ベンチマーク「ETTm2」の全予測ホライズンおよび「ETTh2」の短中期ホライズンで、比較対象の最強デジタルモデルを上回り、MSE(平均二乗誤差)を最大14%改善した。気象データセットでも競争力を維持している。一方、チャネル数の多い電力・交通データセットでは既存モデルに及ばない部分もあり、高次元データへの対応が今後の課題として残る。
ビジネスへの影響として最も直接的なのは、エネルギー・電力業界の需要予測部門である。送電網の需給バランス管理では数秒から数時間先の予測を継続的に実行するため、推論インフラの電力消費が事業コストに直結する。光学演算が実用化されれば、予測システムの運用電力費と炭素排出量を大幅に削減できる可能性がある。KPIとしては推論コスト(1予測あたりのエネルギー消費量)および予測精度(RMSE・MAE)が主な評価軸となる。
金融業界のリスク管理部門にとっても注目すべき技術である。市場価格や金利の短中期予測を超低遅延で実行するニーズは高く、光速に近い処理速度を実現できる光学コアはアルゴリズム取引や流動性リスク管理における競争優位に寄与しうる。特にマイクロ秒単位の応答が求められる高頻度取引システムでは、デジタル演算のボトルネックを回避できる点が価値を持つ。
製造業のサプライチェーン管理部門においては、部品需要や生産量の予測精度向上とシステム維持コストの削減を同時に実現できる可能性がある。エッジデバイスへの実装が進めば、クラウドへの通信遅延なしに工場現場での即時予測が可能になり、在庫回転率や生産稼働率の最適化につながる。
ただし実用化には複数の技術的課題が残る。現時点でHAMONはシミュレーション環境(TorchOptics)上の検証にとどまり、実際のフォトニクスハードウェアへの実装は未達成である。高チャネルデータセットでの精度劣化も解決を要する。また位相マスクの製造精度や環境振動による光路の安定性など、実装固有の工学的問題も存在する。
研究者は論文内で、HAMONが光学ハードウェアおよび受動物理系列混合の具体的な実装目標を定義するものであると位置づけている。シリコンフォトニクスや空間光変調器(SLM)の製造技術が成熟するにつれ、本研究が示すアーキテクチャが実チップ設計の設計図となる可能性は十分にある。予測AIのインフラコスト削減を戦略課題とする企業は、光コンピューティング分野の動向を早期から注視する意義がある。